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[转贴好文章] 朝日新闻,天声人语

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发表于 2013-4-16 21:32:10 | 显示全部楼层 |阅读模式
2007年1月1日

  夜更けに空を仰ぐ。雲間に、全天一の輝きをもつ恒星シリウスが青白い光を放っている。その右上にオリオン座の雄大な四辺形が浮かぶ。「オリオンは高く うたひ/つゆとしもとを おとす」。こう詠んだ宮沢賢治のふるさと、岩手県の花巻市を訪ねた。
      深夜时分仰望星空。天空中,拥有整片蓝天光辉的恒星天狼星绽放出蓝白色的光芒。在它的右上角,猎户星座的大的四边形浮现了出来。“猎户星座高挂天空 歌唱/露水和霜冻则慢慢滴落”。笔者拜访了写这诗的宫泽贤治的故乡——岩手县花卷市。



  夜が明けると、薄日の差す空から、はらはらと雪が落ちていた。ほおにひとつ、またひとつ、はかなくとけてゆく。雪をかぶった小さな広場に足を踏み入れると、賢治の童話「雪渡り」の世界が目に浮かんできた。
      夜晚即将逝去时,从东方透出一线曙光的空中,雪花开始慢慢的飘落。一片又一片落在脸上,很快的就融化了。进入被冰雪覆盖的小广场,眼前就浮现出贤治的童话故事《过雪地》中的世界。

  「堅雪かんこ、凍(し)み雪しんこ」。こう言い交わしながら、人間の子どもと狐(きつね)の子たちが心を通わせてゆく。動物も人間も、一度だけの生を生きる者同士という思いが感じられる。
      “硬雪梆梆,冻雪铛铛”。交谈着交谈着,人类的孩子和小狐狸们的心就相通了。我们能感受到无论是动物还是人类,都是只有一次生命的生物的这种想法。

  雪で人工的なものが白く覆われたせいか、山や川と人との間に一体感が生じているように見える。悠久の自然と命ある生き物とは対照的だが、銀河系の片隅でたまたま時を同じくして巡り合ったもの同士と考えれば、交感があっても不思議ではない。
      也许是因为下雪将人工造出来的东西都被覆盖了的原因吧,山川,河流,人类看起来也像是合而为一了。悠久的自然和有生命的生物虽然是不同的,但若是考虑下,在银河系的某个角落,某个时间,大家是会偶尔相遇的朋友,那么大家的心灵相通也并非是什么不可思议的事情了。

  賢治がかつて教えた農学校を前身とする花巻農業高校に、こんな碑文がある。「われらに要るものは 銀河を包む 透明な意志 巨きな力と 熱である」
      贤治曾经教学的地方——农业学校的前身花卷农业校园里,有这样一块碑文。“我们需要的东西是,包裹着整个银河的,透明的意志,巨大的能量和热情”。

  近くには、賢治が農民や若者を指導したという建物が保存されている。入り口に、こう書かれている。「下ノ畑ニ居リマス」。賢治はもう、畑には居ない。しかし、生き物だけではなく、宇宙や大地の鼓動にも耳を澄ませた精神を、今こそ生かしたい。雪の民家の戸口に、正月飾りがきらめくのを眺めながら、賢治の居場所を思った。
      在那附近,贤治曾经指导农民和年轻人的建筑物还保留着。在那入口,这样写着“我在下面的农耕地中”。当然,贤治已经不在农耕地中了。但他希望我们去发挥不仅仅是对有生命的物体,还有对宇宙和大地的鼓动,静下心去倾听的精神。在堆满了积雪的民户的门前,作者一边看着装饰正月的饰品发出的光芒,一边想着贤治居住的地方。
发表于 2013-4-17 13:55:15 | 显示全部楼层
这篇短文写得真好啊
 楼主| 发表于 2013-4-17 21:39:11 | 显示全部楼层
毛筆で字を書くことは、めったに無い。何かの折に筆で記名を求められると、少したじろぐ。いざ筆を紙に下ろすと、手加減次第でいかようにも太く、あるいは細くなってしまう頼りなさに戸惑う。そして同時に、力の入れ具合で千変万化する毛筆の融通無碍(ゆうずうむげ)な魅力をも感じる。

很少用毛笔写字。有时,碰到有人要求我用毛笔签名,我就会有些许退缩。一旦要落笔纸上,我便为运笔中笔画太肥或者太细,控制不佳而不知所措。但与此同时也感到毛笔那种因笔力不同而千变万化、纵横驰骋的魅力。

書の世界で生きる達人の作を集めた「現代書道二十人展」を見てきた(東京・上野松坂屋で 8日まで)。それぞれの作風を伝える漢字のみ、あるいはかなまじり、そしてかなが主の作品が並ぶ。漢字の持つ潔さや主張性、かなの、はかなそうでいてしなやかな様がうかがえる。

我去参观了汇集书法世界高人之作的“现代书道二十人展”(东京·上野松坂屋,8日截止)。有仅以汉字展现不同风格的作品,或者是夹杂了假名的作品,还有以假名为主的作品,都并排展示着。可以从中窥视出汉字所具有的简洁性与意向性,以及假名的简短与柔软。

作品に近づいて筆の運びを想像していると、書には現代人が忘れかけたものを思い起こさせるところがあるという気がしてきた。それは、書かれた文言が古来のものというよりは、書が、いわば無数の曲線で成り立っていることから来るようだった。


慢慢靠近作品,一想象起笔的运转,便注意到有一处令人觉得在书法中被现代人所遗忘的地方。这一点就是,与其说被书写下来的文言是自古就有的东西,不如说书法从某种意义上来看是由无数曲线所构成的。

文字、特に漢字は直線が印象的だが、人間が書いたものは厳密な直線にはならない。どの線も、わずかにせよ丸みやくねりを持っている。それが、活字とは違って、書き手の独特の息吹を伝えてくる。


文字,特别是汉字,其直线条给人以深刻印象,然而人们所书写下的并不会是严密的直线。无论是哪根线条,即使是一丁儿点都会带上点圆形或者曲度。这便传递出与活字所不同的,手写体所特有的气息。

文字を手で書きつづることは、手や筆を翻し、回すことにつながる。これと大きく異なるのは、手で打つ、あるいは指で押すというパソコンなどを使った文字の入力だ。

用手书写文字,与手或者笔的运转有关。与此大不同的,是用手敲击,或者说是用手指揿摁的,使用电脑之类时的文字笔力。

つづる:アルファベットなどをつらねて単語を書き表す。 「ローマ字で単語を―・る」

文字の世界だけではなく、テレビのチャンネルにしても電話にしても、回すから押すへと変わった。この「押す時代」を押し戻すことは難しいだろう。しかし時には、回すという古(いにしえ)の動作に立ち返ってみたい。

不仅仅是文字世界,无论电视机频道还是电话,都从旋转向揿摁转变。要扭转这个“揿摁时代”怕是很难吧。但是有的时候,我却想试着回到“回旋”这个古老的动作中去。
发表于 2013-4-17 22:45:07 | 显示全部楼层
感谢你的推荐
发表于 2013-4-18 06:46:53 | 显示全部楼层
gai 发表于 2013-4-17 21:39
毛筆で字を書くことは、めったに無い。何かの折に筆で記名を求められると、少したじろぐ。いざ筆を紙に下ろ ...

这个栏目不错,文章不长,也比较有可读性
 楼主| 发表于 2013-4-25 19:19:09 | 显示全部楼层
通りが静まり、いつもよりゆったりと時が流れてゆく。そんな思いを誘う三が日が過ぎた。正月の各地、各家庭に伝わる雑煮が、このゆったりとした時間とよく溶け合っているのを確かめた人も多いのではないか。


街上静悄悄的,时间流逝比平日更加舒适。怀着这种想法的三天过去了。正月里全国各地、家家户户都在做的杂煮,正好和这舒缓的时间融合在一起。

だいぶ前の1月の今頃、同僚と雑煮の話になった。彼の故郷では、トビウオを焼いて干したもので出しをとるという。当方ではハゼを焼いて干したものを使う。生地は列島の南と北にはるかに離れていても、同じように海と向き合っていたのかという思いがした。


多年前的1月的这个时候,我和一位同事谈起杂煮的话题。据说在他的家乡用烤飞鱼的鱼干煮汤汁。我家是用烤虾虎鱼干做的。各自的家乡分别在日本的南北、相距甚远,却同样面向着大海吧。

雑煮の持つゆったり感は、出しの材料をかなり前から準備することだけで醸し出されるのではない。例えばかつて実家では、年末になるとダイコンとゴボウをゆでて千切りにし、板に載せて外に出していた。夜は寒気で凍(し)み、昼は日光でとける。それを3日ほど繰り返し、ほのかに甘みが出たものを使っていた。

杂煮的舒适感并不只是许久之前就要准备的汤汁的材料所创造的。例如我的老家曾经在年末时用萝卜和牛蒡煮了切成片,用木板盛了置于户外。晚上寒气使之冷冻,白天阳光使之融化。如此反复三日,待稍微有些甜味后,用于杂煮。

近年、ゆったりゆっくりのスローを冠した「スローフード」という言葉や運動を耳にする。画一的なファストフードに対し、その土地に根ざした料理を大切にする考え方だ。今でも土地の数だけありそうな雑煮は、さしずめ日本のスローフードの代表格か。


近年来经常听到以舒适缓慢冠名的“慢食”这样的词语和运动。和单一的快餐相比,它更注重乡土料理的理念。现在仍是各地有各地风味的杂煮正是目前日本“慢食”的代表作吧。

この運動の起点となった、北イタリアのブラという小さな町に立ち寄ったことがある。休日で、人々は球技や屋外での壁登りなどをしていた。年齢層は幅広く、老若男女そろって楽しむ雰囲気だ。


我曾经顺路探访过这个运动的起点、北意大利一个叫做布拉的小镇。假日里人们玩球类运动或者到户外攀岩。年龄层跨度很广、男女老少一起沉浸在快乐的气氛里。

昼時、駅前の食堂に入った。パスタと豆の温かいスープには、ほっとする味わいがあった。今思えば、あの地に根ざした雑煮の味だったのかも知れない。
  

中午我来到车站前的食堂。意大利面和豆子的温汤有让人放心的味道。现在想来,也许正是带有那块土地根源的杂煮的味道。
发表于 2013-6-3 21:16:48 | 显示全部楼层
继续支持
 楼主| 发表于 2013-9-12 07:42:37 | 显示全部楼层
仙台市の青葉女子学園は、全国に9カ所ある女子少年院の一つだ。毎年春になると、創作オペレッタの準備にかかる。手作りの音楽劇である。

位于仙台市的青叶女子学校,是全国9所少年女校之一。每年一到春天,该校都组织全校性的小歌剧创作活动。学生们将亲手编写的自己的音乐剧本。

教官が漢字1字のテーマを与える。昨年は「今」だった。それをもとに約20人の少女たちが手分けして脚本や歌をつくる。目標を持てない少女と、不満や不安、不幸を抱える四季の妖精たちが出会い、それぞれが生きる力を取り戻す物語に仕上がった。6月の学園祭で保護者らを招いて上演された。


辅导老师给出一个汉字作为题目。例如去年是过去的“今”。以“今”字为题,在此基础上,约20个学生分工分工创作对白和唱段。一个“满怀着不满与不安情绪的四季的妖精们邂逅前途迷茫的少女之后,在大家共同的努力下,各自都恢复了自身的活力”的故事瞬间就完成了。在6月的学园祭上会将监护人们请到学校来,欣赏学生们表演的节目。

そうした20年にわたる営みが、今年度の人事院総裁賞に選ばれた。公務員の地道な活動に贈られる賞だが、今回の主役はむしろ少女たちだ。ピアノの伴奏もする教官の北村信子さんは「私たちの仕事は彼女たちの力を引き出し、支えることです」と語る。


因为该学校锲而不舍地将这个有创意的活动坚持进行了20年,所以被授予了06年度的人事院总裁奖。一项原本地地道道属于公务员们应得的奖赏,这回却轮到少女们唱主角了。负责钢琴伴奏的北村信子老师说:“教师的工作是引发学生们的潜力并给予她们支持。”

覚せい剤や傷害、盗みなど非行の内容は様々だが、だれもが心に深い傷を負っている。それが歌やせりふから伝わってくる。「なんでこんなにつらいの。なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないの」「素直でいたい。だけどうまくいかない」「私なんて、いない方がいいんだ。必要のない存在で終わってしまうんだから」


兴奋剂还有伤害、盗窃等诸多的社会丑恶问题,内容形式可谓五花八门,但都给人们的心灵带来了伤害。歌词和对白中传出了这样的思想。“为什么如此痛苦?为什么这么想的人总是我?”、“我渴望正直,但是正直的人在这个世上却寸步难行!”、“像我这样的人,死了反而更好。因为我将毫无存在价值地过完这一生”。

それでも最後は、「信じる心、胸に、今未来へ旅立とう」と歌う。出演者も合唱隊もみんな涙ぐんだという。

尽管全剧的基调如此伤感,可是结尾时还是唱出了“让我们把信念留在心里,现在,让我们向着未来出发……”。小演员们和合唱队的孩子们含着眼泪唱完了最后一首歌。

少女の一人はこんな話をしてくれた。「夢があるからがんばれる。私には大切にしたい人がいる。そうしたせりふで、自分の気持ちを客席の親に初めて伝えることができた」。そして、「みんなでつくり、励まし支え合ったのも、初めての体験でした」。

参加演出的一个女学生曾对笔者说过这样的话,“我能够如此努力全因为心中有梦想,世间还有值得我牵挂和珍视的人。通过台上的表演,我有生以来第一次向台下的亲人传达了自己真正的心情。”接着,她还说:“大家一起动手,互相鼓励、支持,这也是从未体验过的事情。”
 楼主| 发表于 2013-9-17 10:14:22 | 显示全部楼层
今では想像しにくいが、女性のスポーツが快く思われない時代は長かった。日本の女性が五輪に初めて出た1928年アムステルダム大会で、陸上800メートル2位となった人見絹枝はこう書いた。「人生はすべて戦いである。女も戦う時代だ」(『女子スポーツを語る』ゆまに書房)。得意の100メートルで敗れ、初体験の距離に挑んで手にした成果だった。

现在难以想象的是,曾经认为女性运动速度不快的年代非常漫长。人见绢枝作为日本首次参加奥运会的女性,在1928年的阿姆斯特丹奥运会上取得了800米赛跑的第二名。她在书中这样写到:“人生完全就是一场战争。这是女性也要战斗的时代”(《说说女子运动》人类书房)。在擅长的100米赛跑失败了,这是她挑战首次参加的项目而获得的成绩。

新しがり屋をモボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)とはやす一方、女性が太ももをさらして競走するなんてはしたないとする時代を生きた。彼女が生まれて今月で100年になる。

她生活的那个年代,一方面越来越多的时髦男女追随流行,另一方面女性认为露出大腿参加赛跑是可耻的事情。本月是她诞辰100周年。

短距離や走り幅跳びで世界記録を出すかたわら、記者として働き、後輩の遠征費用を募って歩いた。「努める者はいつか恵まれる」(『炎のスプリンター』山陽新聞社)。若い人を励まし続け、銀メダルから3年後の同じ8月2日、病で24歳の生涯を閉じた。

不仅在短跑和跳远上创造了世界纪录,她还做过记者,为募集后辈的参赛经费而奔波。“努力的人总会得到收获”(《火焰中的短跑选手》山阳新闻社)。她坚持鼓励年轻人,在获得银牌3年后的同一个8月2日因病逝世,享年24岁。

それから61年後の同じ日、バルセロナ五輪のマラソンで、有森裕子さんが陸上女子2人目の表彰台に立った。影響を受けた人に、同じ岡山出身の人見の名をあげる彼女もまた、闘うランナーだ。

61年之后的同一天,巴塞罗那奥运会的马拉松比赛中,有森裕子女士站上了陆上女子项目第二名的颁奖台。受此影响的人们赋予同样是冈山出生的有森人见之名,有森也是一位战斗着的选手。

走ることで生活費を得る。その権利は個人に属する。今は当たり前のこの原則も、10年ほど前までは違った。競技団体と3年間渡り合い、これを認めさせたのが彼女だった。

跑步能得到生活费,这个权力属于个人。这个当今被视为理所当然的原则,在大约10年前还并非如此。是有森和竞赛团体交涉了3年才获得了认可。

「きちんと練習し、自己最高を目指した上で終わりたい」。有森さんは昨年、そう言って練習を再開した。40歳で走る2月の東京マラソンがひと区切りになる。自らの存在を問い続けて走る女性の言葉には、背筋の伸びる思いがする。

有森去年说“好好练习,想以完成自己最高的目标作为结束”,之后重新开始练习。她以40岁的年纪,在2月的东京马拉松中横跨了一个区。坚持追问自身存在的奔跑着的女性的话语,令人想到背部肌肉的伸展。
 楼主| 发表于 2013-9-17 13:53:48 | 显示全部楼层
影響を受けた人に、同じ岡山出身の人見の名をあげる彼女もまた、闘うランナーだ。
受此影响的人们赋予同样是冈山出生的有森人见之名,有森也是一位战斗着的选手。

自らの存在を問い続けて走る女性の言葉には、背筋の伸びる思いがする。
坚持追问自身存在的奔跑着的女性的话语,令人想到背部肌肉的伸展。

第一句感觉不是很通顺啊

第二句我觉得是不是"坚持着追问(寻)自身的存在,听到奔跑着的女性的这样的话语,真让人觉得肃然起敬啊(挺直背脊)"这样比较好啊

@verssaux   
发表于 2013-9-17 19:25:50 | 显示全部楼层
gai 发表于 2013-9-17 13:53
影響を受けた人に、同じ岡山出身の人見の名をあげる彼女もまた、闘うランナーだ。
受此影响的人们赋予同样 ...

第一句,我的理解是
被问及受影响的人时, 她说出了同是冈山出身的人见的名字,她也和人见一样是一位奋斗的选手

第二句前半句原文没有问题,自らの存在を問い続けて走る是一个完整的定语
后半句你说的是对的
 楼主| 发表于 2013-9-17 22:39:55 | 显示全部楼层
verssaux 发表于 2013-9-17 19:25
第一句,我的理解是
被问及受影响的人时, 她说出了同是冈山出身的人见的名字,她也和人见一样是一位奋斗的 ...

谢谢你啊

影響を受けた人に  中的に是什么意思啊,是不是关于,对于的意思?

自らの存在を問い続けて走る女性の言葉には
这个句子我觉得定语太长,所以才拆开了啊,因为写成中文的话一般不会用很长的定语啊

这些这么正规的翻译,都有很多错误啊
发表于 2013-9-17 22:51:53 | 显示全部楼层
gai 发表于 2013-9-17 22:39
谢谢你啊

影響を受けた人に  中的に是什么意思啊,是不是关于,对于的意思?

是的,是对象的意思

因为 坚持着追问(寻)自身的存在,听到奔跑着的女性的这样的话语,真让人觉得肃然起敬啊
这样可能会让人认为"说话的人在坚持着追问(寻)自身的存在"
而且自らの存在を問い続けて是走る的原因,是连在一起的

 楼主| 发表于 2013-9-20 20:29:21 | 显示全部楼层
verssaux 发表于 2013-9-17 22:51
是的,是对象的意思

因为 坚持着追问(寻)自身的存在,听到奔跑着的女性的这样的话语,真让人觉得肃然 ...

是啊,真的会引起误会啊,我没有注意到啊

不过太长的定语也不是中国人的习惯,所以我再考虑如何分开啊
发表于 2013-9-20 23:01:49 | 显示全部楼层
gai 发表于 2013-9-20 20:29
是啊,真的会引起误会啊,我没有注意到啊

不过太长的定语也不是中国人的习惯,所以我再考虑如何分开啊


坚持追问自身存在奔跑着的女性的话语,这样大概差不多了
发表于 2013-9-22 22:13:39 | 显示全部楼层
很好的帖子,谢谢分享
 楼主| 发表于 2013-9-26 20:57:23 | 显示全部楼层
verssaux 发表于 2013-9-20 23:01
坚持追问自身存在而奔跑着的女性的话语,这样大概差不多了

好的,谢谢你啊,我继续修业啊
 楼主| 发表于 2013-9-27 10:02:51 | 显示全部楼层
ことしは統一地方選がある。ほとんどの有権者に投票の機会が訪れる。今回は見逃せないことが、ひとつある。全国で300を超す自治体が、開票時間の短縮合戦に挑もうとしているのだ。

今年将举行全国的地区性选举。几乎每个选举人都有投票的机会。本次有个不可错过的原因:全国超过300个的自治团体将挑战争夺缩短开票时间。

元三重県知事で早大大学院教授の北川正恭氏らが呼びかけた。名づけて「コンマ1秒の節約」。だらだらと前例を踏襲するお役所仕事に、創意工夫で風穴をあける。速報性を高め、選挙への関心も高める。そんな民主主義を鍛える狙いは、マニフェスト運動とも重なる。


这是曾任三重县知事的早大研究生院教授北川正恭先生等人呼吁的,被称为“0.1秒的节约”。在政府历来磨磨蹭蹭的工作方式上创新,提高报道速度,也提高了人们对选举的关心程度。这个锻炼民主主义的目标和宣言运动一样重要。

風穴を明ける:転じて、閉ざされた状態にある組織などに新風を吹き込む。

すでに実績もあげている。たとえば、長野県小諸市は昨年の知事選で、開票所のレイアウトを一新し、作業台も10センチ高くして、前回の半分以下の34分で終えた。福島県知事選では、相馬市が職員を2割減らしながら、前回の61分を25分に縮めた。


全部要讲究实际效益。例如长野县小诸市在去年的知事选举上变革开票点的设计,工作台也升高了10公分,开票时间34分钟就结束了,只用上一次的一半不到的时间。福岛县知事选举中,相马市减少了两成的工作人员,也从上一次的61分钟缩短到25分钟。

新開発の技術などない。候補者ごとに集票容器を色分けする。疑問票の有効、無効の選別基準を具体的に徹底する。過去の投票用紙で予行演習をする。こうした小さな改善の積み重ねが、大きな効果をあげる。その経験は、他の業務の合理化にもつながるかもしれない。


并不是什么新开发的技术,而是将候选人的采票容器通过颜色来区分。具体贯彻可疑票的有效和无效的区分标准。用以前的投票纸张进行了事先演习。就这样不断积累小处的改善,取得了很好的效果。这项经验或许也适用于其他业务的合理化。

経費も節約できる。北川氏は「すべての自治体が1時間ずつ縮められれば、4年間で50億円近い人件費を減らせる」と試算する。開票時間を短縮する知恵比べが、役所の意識改革と節約の一石二鳥になるのなら、もっと広がっていくに違いない。

这也节约了经费。北川先生算了一下“所有的自治团体都缩减1小时的话,4年将减少将近50亿的人事费用”。和缩短开票时间的才智相媲美的,如果能达到政府意识改革和节约的一石二鸟之计,肯定会被更加推广。

きょう、成人の日を祝う、ほやほやの新有権者は初めての一票に、どんな思いを託すのだろう。投票した候補者の当落だけでなく、「コンマ1秒の節約」の結果も、お楽しみに。


今天庆祝成人礼,刚刚诞生的新选举人在他们的第一票上寄托了怎样的愿望呢?不只是投票给他的那个候选人的当选或落选,也请期待“0.1秒的节约”的结果。
 楼主| 发表于 2013-10-2 10:45:43 | 显示全部楼层
松飾りを外した家と、まだ飾っている家が混在する通りを歩きながら考えた。平成の時代も、来年は20年になる。昭和という時代が一歩遠のいてゆく気がした。

在街上闲庭信步,临街人家门上的门松有的已撤下有的则依旧挂在上面。到明年“平成时代”就整整20年了。昭和时代似乎渐渐离我们远去了。


昨年末から昭和を象徴するような人たちの訃報(ふほう)が相次いだ。財界のご意見番と言われた諸井虔さんに続き、年明けには、昭和の国民的食品となった即席ラーメンを発明した安藤百福さんが亡くなった。

去年年末开始相继传来了昭和时代代表人物的讣告。从有财政界“魏征”之称的诸井虔先生的去世,到年后发明昭和时代大众食品——方便面的安藤百福的辞世。

★ご意見番:直言不讳的人。


大阪の闇市のラーメン屋台の前で、人々が行列して辛抱強く待っている。安藤さんの脳裏に焼き付いた終戦直後の風景が、後に食の風景を変えるような発明につながったという。昭和の時代が、安藤さんを通してもたらした発明とも言えるだろう。

大阪黑市的拉面摊前人们为吃上一碗热腾腾的拉面辛苦的排了很长的队。这便是战争刚结束时百姓生活的一个真实缩影,它深深地印在了安藤的脑子里,他立志要改变这种状况让百姓随时都能方便的吃上拉面。可以说正是昭和这个时代造就了安藤,成就了他的发明。

〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉。この中村草田男の句は昭和6年、1931年1月の句会に出されたという。師の高浜虚子は句会では選び採らなかった。しかし、帰りのエレベーターでたまたま同乗した草田男を見て「あの句は矢張り採って置こう」と言い、虚子選に追加された(宮脇白夜『新編・草田男俳句365日』本阿弥書店)。

“雪花和明治(时代)都离我们远去了”。1931年1月(昭和6年)的诗会上,中村草田男发表了这句诗。身为老师的高滨虚子女士,当时却没有选这句。但是,就在回去的路上碰巧俩人同乘一趟电梯,高滨女士看着草田男说“那句还是要的为好”就这样这句被追加进了虚子选。(宫肋白夜《新编、草田男俳句365日》本阿弥书店)

★にけり:助动词“ぬ”和过去助动词“けり”,相当于“てしまった。”“たことだ。”

句は大雪の日、かつて学んだ東京の小学校の前で生まれた。降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのままで明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に強まったという。

俳句是在下大雪的日子,东京一所小学前创作出来的。躺在厚厚的雪中,脑子里对于时间和空间都一片空白。有种错觉似乎这就是明治时代,可同时又感到明治时代已永久的消失了。

今日、防衛庁が防衛省になる。長く「庁」だったことには、軍が暴走した昭和の一時代への深い反省が込められていたはずだ。年ごとに昭和が遠くなっても、その反省だけは、遠いものにしたくない。

今天,防卫厅将升格为防卫省。长久以来“厅”的称谓,应该是加入对昭和时代军国主义一种深刻得反省吧。昭和时代的历史虽离我们远去了,却不希望对那个时代的反省也同样远去。
发表于 2013-10-2 23:02:29 | 显示全部楼层
谢谢你,都是很好的文章
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