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八重山,位于冲绳的最西南端,也就是琉球弧的最末端.由石垣島、竹富島、波照間島、与那国島、黒島、小浜島、西表島、鳩間島、新城島、由 布島、嘉弥真島等诸岛组成.八重山地区是琉球地区现存古歌最多的地方,被称作"民谣的宝库".
八重山民谣的特点与冲绳本岛的民谣的风格相差很多.在旋律上,八重山古歌显得十分的哀愁,浪漫,并且感觉阴沉.就像 是夜晚深山中的溪流一般.在配乐上...几乎没有,古歌一般情况下都是清唱的,在古歌中对唱的曲目有很多,并且是多人 对唱.
八重山古歌和奄美岛唄虽然在唱法上和旋律上没有任何共同点,但他们的作用却都是一样的.祈祷祭祀,教育后人,婚丧嫁 娶,出海劳作也都是用唱的.这可能和它们当时封闭的环境以及贫瘠的自然资源有关吧~~
以下是一些古歌的日文介绍,本人日文水平有限..请哪位帅哥帮忙翻一下
1.あんぱるぬ目高蟹ゆんた
名蔵湾の15種類の蟹を様子を当時の農民が細かく習性・形態を観察して、さらにその仕草を擬人化し、生年祝いにお ける余興の役割分担を唄ったもの。「ツノメガニの生年祝いなので蟹の数々の踊りがありますよ、ミナミオカガニは 準備係、キンセンガニは笛吹き係、オキナワハクセンシオマネキは三線係、アシハラガニは狂言係...」また男女が 独特なメロディで交互に繰り返し唄い続けるのを聴いてると、なにやら心地よく浮遊感を感じる。
2.じらばがぬそーそーま井戸じらば
じらばが(区域名)にある井戸の創成をつづった唄で、ソウソウと湧き出てきたことから「そーそーま井戸(カー) 」と名付けられたと言い伝えられている。この地区にある宮鳥御嶽の創建に深く関わった井戸とされ、現在でも御嶽 と井戸の間には神様が行き来するといわれている道が確保されていたり、地区の祭事、神事ではこの井戸水が使用さ れたりしている。そしてそれら行事の初めには昔からこの唄が唄われ続けている。現代では各家庭まで水道が確保さ れていて、空気の様な存在の感覚になっている水だが、昔の人にとって水は非常に大切なもので井戸から水が沸き上 がった、その時の感動、そしてそのすばらしさを表現しただけの唄ができてしまう
3.今日が日ジラバ
沖縄本島の「かぎやで風」のように祭事等で最初に歌われる曲。陽春の季節に田草取りや栗・麦・豆等の草取り作業の 初めに歌われるジラバである。
「今日の良き日は何をしようか、黄金の様な貴重な日を大事にしよう。」という心意気で、田草を取る風景と農村の 妻の選択条件を教訓的に歌っている。
4.深山蜘蛛ゆんぐとぅ
深山に住む知恵のない蜘蛛が網を張って獲物を捕らえるところから学びを得て、自分の人生に生かして思いが叶うと いう内容。明るくも赤裸々な表現を交えられている。「性歌」と呼ばれるものは、その時代の社会状況が安定してい てさらに精神が裕福なときに生まれてくると言われている。
5.安里屋ユンタ
言わずと知れた全国に伝わる沖縄の代表的な唄。実は全国的に知られたものは「新安里屋ユンタ」と言われて昭和の 初期に歌詞や曲をアレンジされたもの。元々は竹富島における三百年近く前の封建時代の農民と役人との関係を唄っ たもので、賄女(マカナイ)制度をありのままに描写している。この唄が原曲で本来は23番までの大作になってい る。
6.安里屋ヌジラマ~西表島の唄声/カエルの重唱
発祥地である竹富島以外で改作され、現在一般に唄われている「安里屋ユンタ」と歌詞が同じものになっていて、歌 い方が「ジラバ」調になり、小浜島独特のもので古くから伝承されている曲。
曲の後部にあるカエルの鳴き声は西表島のカエルの重唱。聴いてると息を合わせて一斉に鳴き始めたり、掛け合った りと、まさに「島の唄声」のように聴こえる。生活の中から自然と沸き出してきた古謡との共通項が垣間見える。
7.鳩間元ジラマ
鳩間島が1703年に独立村になるまでの創成を謡いあげた叙事詩歌謡。この曲は旧暦3月に行なわれる行事「世願い」 祭にて古くから歌われている。「世願い」祭とは、今年は去年にまさるいい年になるように、海の幸山の幸が豊作で ありますようにと島の5カ所のお宮をまわり願掛けをする祭り。
8.かじばたあゆ
造船後の浸水式(この地方では「砂降り(シナウリ)」という)に唄われる曲。海に囲まれた八重山諸島の中でも浸水式の唄が残っているのは黒島のこの曲だけと言われている。「はじがにじらば」という曲が曲内後半に唄われている。
9.ぴてそりじらば
「ぴてそり」とは畑の草取り作業のことで、その作業は村の老若男女が互いに労働力を提供し合う「結い」と呼ばれる共同作業で行なわれていた。大勢で並んで威勢よく作業する様があまりにも見事なもので、その様相を唄ったもの。皆で唄を唄いそして掛け合いながら作業をすると辛さを忘れ、逆に能率が上がった。さらに休憩時間には美味しい神酒がふるまわれ、元気づけたといわれる。
10.ゆびがゆゆんぐとぅ
昔は婚約が両家で成立すると、結婚までの間男女が互いの家で寝泊まりすることが認められていた。この唄は男が寝泊まりに来なかったことを女がいろいろな表現で問い詰め、男もたじろぎながらも見事にかわす様を謡いあげている。正式な伝承が危ぶまれていた曲であったが、野底光子さんが様々な資料、過去の経験から再び起こし、甦った曲。
11.旅果報
与那国島はまたの名を、渡るのが難しいと書いて「渡難(どなん)」といい、黒潮の大海のど真ん中に存在し、さらに天候も沖縄の中でも変化が激しいという条件が重なり、海上が荒れやすく現在でも海・空の便共に欠航になることが多い。それが帆船の時代に島を離れなければならないともなると、戻れるかも分からない不安を抱えながら島を離れる人がいて、見送る人がいる。この唄は与那国島で用務を終えた役人が船で石垣島に戻る際、その航海安全を祈り唄ったもので、現在では島から旅に出る人々にお別れの際女性がこの唄を唄い踊る。
12.大皿、中皿
与那国島では旧暦10月以降の庚申(かのえ・さる)の日から「カンブナガ」、または「村祭り(ムラマチリ)」という25日間、平穏安泰、家畜繁殖、家内円満、子孫繁栄の祈願をする一連の祭事を行なうカンヌティ(神の月)と呼ばれる期間があり、祭事参加者はその期間中、四つ足(獣肉)を食さない風習が残っており、一般住民でもカンヌティの間は四つ足の屠殺を厳禁される。この唄はその祭事終了日の前日に行なわれる儀式や、新築祝いにて酒を酌み交わす儀式で唄われる唄。
13.子守唄
与那国島に伝わる子守唄...............
请高手翻译一下,在此谢过了!
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[ 本帖最后由 一青咲 于 2007-1-25 20:11 编辑 ] |
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