楠木繁夫ベスト
発売日:2001年12月 5日
レーベル:テイチクエンタテインメント
盤種:CD
ディスク枚数:1
型番(品番):TFC-680
収録時間:19 分
楠木 繁夫(くすのき しげお、1904年-1956年),得年52歲,是昭和時期的流行歌歌手。本名為黒田進,出身自高知県佐川,父親是一位醫師,但他卻深受喜好音楽母親的影響,自県立中学時代起即立志成為一位音楽家,1924年進入東京音楽学校師範科就讀,並以本科的声楽部為主修,拜在「城ヶ島の雨」作曲家梁田貞門下・在学生時代與同學高木東六等人一起行動,1928年從事學生運動的成員,結果高木被開除學籍,楠木也遭受退学處分。
1929年於名古屋的ツルレコード灌錄「五月音頭」並以レコード歌手開始歌手生涯。1934年作曲家古賀政男擔任テイチク的高階主管,而被延攬成為其専属歌手。在這時候,因当時テイチク社長南口重太郎崇拜戦前被稱呼大楠公的楠木正成,而將其芸名取為楠木繁夫。
1935年與古賀政男搭檔,創造出「白い椿の唄」、「ハイキングの唄」、「男のまごころ」與「緑の地平線」等非常暢銷的歌曲,一躍而成為走紅的暢銷歌手,之後,「女の階級」、「のばせばのびる」、「啄木の歌」與「人生劇場」等畼銷歌曲,更是奠定在日本歌壇的地位,1938年,古賀政男因與テイチク上層対立而退社,而楠木也跳槽至ビクター。
| 灰田勝彦 BEST OF BEST
発売日:1994年10月26日
レーベル:ビクターエンタテインメント
盤種:CD
ディスク枚数:1
型番(品番):VICT-15081
収録時間:24 分
灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年- 1982年),本名是稔勝,出生於夏威夷,是日本昭和時代的歌手、演員與烏克麗麗的演奏家。
1922年與兄長灰田有紀彦(晴彦)回到日本。1936年以「ハワイのセレナーデ」出道。戰時有出版「燦(きら)めく星座」「鈴懸(すずかけ)の径(みち)」,戦後の「東京の屋根の下」「野球小僧」等暢銷曲。電影的代表作有「銀座カンカン娘」等。1982年10月26日去世,享年71歳。
1952年發行的「アルプスの牧場」是灰田勝彦的經典名作,讓灰田獲得1952年第2回紅白歌合戦的初次出場,此曲運用約德爾唱法,在日本此歌唱技巧由中野忠晴於1933年演唱「山の人気者」首創風氣,「ヨーデル歌手」之名不逕而走,1952年灰田勝彦再以「アルプスの牧場」將約德爾唱法推至高峰。
灰田 勝彦曾六度登上NHK紅白歌合戦的舞台! 表演的歌曲如下:
第2回(1952年1月3日) 「アルプスの牧場」
第3回(1953年1月2日) 「野球小僧」
第4回(1953年12月31日)「東京の屋根の下」
第7回(1956年12月31日)「白銀の山小舎で」
第8回(1957年12月31日)「野球小僧」
第10回(1959年12月31日)僕は野球の選手」 |