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[转贴好文章] 坂本冬美:《明治一代女 ~歌謡浪曲~》歌词和背景资料

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发表于 2024-4-29 13:57:16 | 显示全部楼层 |阅读模式
坂本冬美:《明治一代女 ~歌謡浪曲~》歌词和背景资料


明治一代女

歌手:坂本冬美
作詞:藤田まさと
作曲:大村能章


浮いた浮いたと 浜町河岸に
浮かれ柳の 恥ずかしや
人目しのんで 小舟を出せば
すねた夜風が 邪魔をする


「アラ、お月さま。この梅雨空で、
うっとうしゅうござんしょう
私もねえ、旦那も持たずに芸一本で、
この柳橋での辛い芸者稼業…
でもねえ、この叶家お梅にも、
やっと春が来たのよねえ。
新富町の蔦吉姐さんと、深い訳ありの
今、人気絶頂の花形役者
津の国屋の太夫さんと、ひょんな事から駒が出て、
想い想われ…
あら嫌だ、ごめんなさい。
太夫さん、お待たせしました。」

すがりついたか 屋形船
揺らぐ灯りも 消えたそな
後は両国 新大橋か
中洲岬の 漁り火か
風に瞬きゃ 照る月が
風流じゃないか 船べりで
十三七ツに 揺れている


「姐さん、それじゃ約束が違います。
津の国屋の太夫さんが、四代目銀之助の襲名は
役者にとって一世一代の晴れ舞台。
名披露目千両というくらいだから、莫大な金が要る。
姐さんが太夫のために、
金の工面に苦しんでいるのを見て、
あっしが何とか役に立ちたい。
こんな箱屋風情でも、故郷へ帰れば地主の伜。
今は亡え父親が、あっしのために残してくれた
田畑を売り払い
姐さんに千円という金を、お渡しいたしました。

それというのも、この名披露目を最後に、
あっしと一緒になって
堅気の商売をしてくれるというから…
姐さん…あっしは命がけで惚れているんです。

峯吉さん、頼むから待っておくれでないか。
今は太夫も披露目の準備で寝る間も無いくらい…
今、別れ話を持ち出したら、
手切れの金で名披露目をしたと
世間様にいわれて、津の国屋の男が廃る…
峯さん、お前さんの親切には、
この通り、手を合わせています。
どうか、察しておくんなさい。

いいや、名披露目がすんだら、女房にすると、
津の国屋さんが云っているとか、いないとか。

そ、それは

じゃあ、その噂は本当なんでござんすね。
あっしを、あっしを欺していたんだ。

そうじゃない、堪忍しておくれよ。
きっと約束は守ります。
今すぐに、太夫と切れるという事は…

峯さん。お前さん何をするんだよ。

姐さん、太夫と別れないのなら…
あっしと、あっしと一緒に死んでくれ。

あぶない。峯さん、そんな物を持って
待って、峯さん、峯さん、止めて、峯さん。
あ、あぶない。峯さん、峯さん、止めて。
待って、峯さん、峯さん…
峯吉さん、
私は、私はとんでもないことを…」

恨みますまい この世の事は
仕掛け花火に 似た命
燃えて散る間に 舞台が変わる
まして女は なおさらに


「あれから、十六年もたってしまった。
今日ようやく、市ヶ谷の監獄から、出所出来ました。
これからは、峯吉さんのお墓守りをして、
あなたの供養に、一生償い続けます。
あれも夢、これも夢、一寸先は闇の浮世なのねえ。」

空眺むれば 一点の
雲無き果ての ほの白き
月の光に 浮き出でた
桧舞台の 両花道に
許してくれと 手を合わせ
女の誠を 見せましょう


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明治一代女 (めいじいちだいおんな)

柳橋の姐さん芸者で踊りの名手、秀の家秀吉の執拗な嫉妬に愛想をつかした歌舞伎役者澤村仙枝は、男嫌いと美貌の売れっ妓の叶家のお梅とふとしたことから恋仲となった。たまたまその頃池之端の御前と呼ばれた粋人福地桜痴が大尽騒ぎの宴会で、秀吉がお梅の芸を口汚く罵るのを見るに見かねて仙枝がかばいに出たりしたことが、かえって秀吉の憎しみを盛り立てる。心ひそかにお梅を恋していた箱丁巳之吉はお梅の弟武彦が人並みに学校を卒業するまでの費用を工面しようと申し出たが、仙枝が金を融通してくれたため、そのままになって苦い酒ばかりあおっていた。一方、秀吉も仙枝が三代目澤村仙之助を襲名する披露に要る莫大な金を用立てるからどうかお梅と手を切ってくれというのだったが、役者を情人に持つ芸者の心意気、お梅も指をくわえて引っ込んではいられなかった。これを知った巳之吉は故郷の田地を売り払い、その金をお梅に与えこれっきり仙枝と手を切って夫婦になってくれと頼むので、お梅もその気になって仙枝と別れる約束をする。だが所詮離れられぬ仙枝とお梅である。そむかれた巳之吉は浜町河岸でお梅を責めた。殺すつもりではなかったが巳之吉の抜いた兇刃に、あやまってお梅は巳之吉を刺してしまった。過失とはいえ殺人の罪は重い。名乗って出ようとはしたが、仙枝の披露の舞台を見るまでは死んでも死に切れぬお梅だ。南千住の安宿に身を潜め、吉原の廓を新内を流して歩き、そして恋しい男の晴れの舞台を見終わるや、思い残すこともなくお梅は母に送られて警察へ自首して出たのであった。

明治一代女 (めいじいちだいおんな)

川口松太郎(1899-1985)の短編小説。《オール読物》1935年9~12月号に連載発表。東京柳橋叶家(かのうや)の芸者お梅は,ふとした縁で歌舞伎役者沢村仙枝(せんし)と愛しあうようになったが,芸者の意地から仙枝の3代目仙之助襲名披露のための大金をつくらなければならなかった。お梅を愛する箱屋の巳之吉(みのきち)は,仙枝と別れ自分といっしょになってくれるならと故郷の土地を売り金をつくる。お梅は条件をのんでその金を仙枝に用立てたものの,やはり仙枝とは別れられなかった。お梅の真意を知った巳之吉は浜町河岸でお梅に切りかかるが,はずみで逆に殺される。襲名披露興行の初日,逃げていたお梅は仙枝の楽屋にあらわれ,襲名の口上を聞きながら自害する。1887年(明治20)実際に起こった花井お梅の殺人事件を題材に,恋と意地に生きる明治の女を哀切に描いた作者の代表作。1935年11月明治座で,作者の脚色,花柳章太郎主演により初演,好評を博し,以後新派の当り狂言となる。同年日活で,田坂具隆(ともたか)監督,入江たか子主演により映画化された。

明治一代女
めいじいちだいおんな
川口松太郎の新派戯曲。『オール読物』1935年(昭和10)9~12月号連載の同題の小説を原作者が自ら脚色。同年11月東京・明治座初演。歌舞伎(かぶき)役者沢村源之助を慕う柳橋芸者花井お梅が箱屋の八杉峰吉を殺した事件を劇化したものには、河竹黙阿弥(もくあみ)の『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』(1888)や伊原青々園(せいせいえん)の小説を真山青果(まやませいか)が脚色した『仮名屋小梅』(1919)があるが、川口作では、お梅は従来とは逆の受け身一方のおとなしい女であり、巳之吉(みのきち)(峰吉)も敵役でなく純情いちずの男で、仙枝(源之助)も含めて感情のもつれから起きた純愛悲劇になっている。花柳(はなやぎ)章太郎のお梅、大矢市次郎(いちじろう)の巳之吉はともに当り役の一つであった。

明治一代女
めいじいちだいおんな
戯曲,新派作品。川口松太郎が 1935年にみずからの小説を脚色したもの。同年 11月明治座で作者の演出,花柳章太郎,大矢市次郎らの出演で初演。 1887年浜町で起きた芸者花井お梅の箱屋峰吉殺しの事件を,芸者お梅が歌舞伎役者仙枝へのいちずな愛から引起した偶然の殺人事件という人情劇に仕立てた作品。大好評を得て,新派の代表的演目として定着した。同事件を扱った作品には,ほかに真山青果作の新派劇『仮名屋小梅』 (1934) や歌舞伎などがある。
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明治一代女

美人芸妓、花井お梅が犯した殺人。舞台化小説化が続々、明治の大事件の全貌とは


6月のある日、深夜の隅田川。大雨の中、傘もささずに立つ女の後ろ姿がある。こちらに気がついて、振り向いた。暗闇の中でもわかる、かなりの美人だ。彼女の肩はなぜか小刻みに震えている。右腕から手へ目をやると、鮮血のしたたる出刃包丁が握られていた……。

1887(明治20)年、24歳の芸妓・花井お梅が、箱屋(※)の八杉峰三郎を殺害した。

※三味線の入った箱を持ち歩く仕事。芸妓の移動時に、そのほかの雑用もこなした。

一躍売れっ子芸妓に
1864(元治元)年、お梅は下総国佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)の武士の花井家に生まれ、元号が明治に変わるころに家族で東京へと移住する。家庭は貧しく、父の専之助は、1872(明治5)年に9歳のお梅を、仕方なく日本橋小商人の岡田家へ養女に出した。

養女となったお梅は、そこで踊りや三味線を覚え、15歳になったころ、柳橋の芸者屋の座敷に出るようになる。江戸っ子らしい、ちゃきちゃきとした性格と艶やかな美貌で、お梅は一躍売れっ子芸妓になった。

1882(明治15)年、お梅19歳。300人を超える柳橋の芸妓のなかでも、トップの人気を博していた。銀行の頭取がパトロンになったり、歌舞伎役者と関係をもったり、浮いた噂がいくつもあったようだ。

しかし人気絶頂のなか、お梅は養子に入った岡田家と離縁し、実家である花井家に戻る。父の専之助は西洋化の流れで武士の職を失い、車夫になっていた。お梅は、父のことが気がかりだったのだろう。

酔月楼での生活
1887(明治20)年、専之助が浜町に待合茶屋「酔月楼(すいげつろう)」を開店し、女主人としてお梅を立たせる。
お梅はこの開業に対して強く反発し、何かと意見を申し立てたが専之助は聞く耳を持たず、お梅も芸妓の仕事を辞めて酔月楼の経営を手伝うことになる。

「おとっつぁん、昔は違ったのに……」
専之助と大喧嘩をしたお梅は、家出をする。

芸妓時代に世話になった人の家などを転々としながら、父との不和の理由について考えを巡らせた。このとき、お梅の頭によぎったのは、酔月楼で雇っている八杉峰三郎のことだった。

「芸妓をしていたころから雇っていた男だが、酔月楼にきてからは、何かと父の肩を持ち、私に対しては冷たい態度をとる。この男さえいなければ、おとっつぁんとの関係もこんなふうにはならなかった……! 」

お梅はこんな答えに行き着いたのかもしれない。

家に帰ろうとするお梅に声をかけたのは
1887(明治20)年6月9日の夜、お梅は半月ぶりに酔月楼の前に立つ。

「私から、ちゃんと謝ればおとっつぁんは、許してくれるのだろうか? 」

入り口の前で迷っていると、後ろから男が声をかけてきた。峰三郎だった。近くの隅田川のほとりへと移動して、お梅は峰三郎に相談をする。「これまでのよしみだ、なんとかおとっつぁんと私を仲裁してくれないか」と。

ところが、峰三郎は「仲裁するかわりに、言うことをきけ」と出刃包丁で脅し、お梅に襲い掛かってきた。
言いよる峰三郎にショックを受けると同時にこれまでにない怒りが湧き上がった。目の前が真っ白になる。

逆上して、気がつくと、自分に向けられていた包丁で、峰三郎を刺し殺していた。

犯行直後、お梅はその場から動くことができないほど、ひどく動揺していたが、専之助に連れられて自首をする。

裁判所は「誅殺罪」とみなし、お梅を投獄した。

殺人事件が舞台化
美人芸妓による殺人事件は、世間の注目を集める。
事件直後に仮名垣魯文(かながきろぶん)が小説化、翌年には河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)が舞台化し、五世尾上菊五郎が主演した。


犯行から15年後の1903(明治36)年、40歳になったお梅は特赦で出獄を許される。

浅草で汁粉屋、次いで洋食屋を開くが、お梅の顔を見たいという野次馬客が去ると店をしまった。1905(明治38)年には、犯罪者が出獄後、その事件を劇化して出演する「懺悔芝居」の一種として、峰三郎殺しの芝居の旅回りを始める。

1916年(大正5)年、お梅は、新橋の芸妓に戻り、秀之助を名乗った。しかしその12月に肺炎のため亡くなる。53歳だった。
お梅は、死の前日、医師に次のような言葉を残している。

何事も覚悟しました。罪も悔い改めました。

死後数十年経ったあとも、彼女の殺人事件を題材とした舞台や映画、歌が続々生まれた。1935(昭和10)年に大ヒットした歌謡曲『明治一代女』、1959(昭和34)年に勝新太郎らが出演した映画『情炎』など、時代を超えて、お梅が物語の中に生き続けている。

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